歳時記(403) 1月31日 日隅一雄氏を弁護する「生命より大切なもの」

今日ツイッターを見ていたら
「自由報道協会賞の授賞式で、チベットの僧侶を侮辱するスピーチがあった」
という呟きが目に入った(式自体は数日前)。
で、「何だろう?」と思って、この件をまとめたツイッターまとめサイト「トゥゲッター」に飛んで見た。
するとそこにこんな記事があった。
自由報道協会賞授賞式にて日隅氏「チベットの高僧のように(焼身)自殺をして名前を上げる(場内半笑い)→在日チベット人激怒
この記事の冒頭に、スピーチした記者である日隅一雄氏の言葉が引用されていた。まずそれを以下に。
私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね(焼身)自殺をしてですね、名前を上げたほうがいいのかなと(笑)(場内笑)悲愴な決意でここに来ているわけですけども(笑)
……これだけ読んで呆れた僕は、すぐツイッターで呟いた。それを以下に。
自由報道協会の人が会見で「チベット人の僧侶のように焼身自殺して云々」と発言したと今初めて知った。
この記者の細胞にはベトナム戦争で「焼身自殺する僧」の映像は染み込んでない。
先日橋下市長にも感じたが今の若い知的エリートに「近過去の歴史」が染みてない・歴史が切れてる印象があるのは怖い。
……これが日隅氏の発言に対する、僕の最初の反応である。
僕はこの時点で日隅氏が自分と同じ1963年生れの中年男性(失礼)であることを知らずに、もっと若い人と勘違いしていた。
この後ツイッターでは日隅氏への批判の呟きが多く見られた。
それも当然だなと僕は思った。
特に来日されているチベットの方の
「今回の記者の発言と先日の事件(四人の日本人が通りすがりのネパール人を殺害した事件)で、日本人に対する信頼を失った」
という発言は痛ましかった。
「これも日隅とかいう馬鹿な記者が悪いんだ」
と、僕は思っていた。
最初のうちは。
しばらく時間が経ってから、日隅氏が自分のブログで式での発言について書いていると知り、気になったのでそれを読んでみた。
すると【まるっきり事情が違う】ということがわかった。
日隅一雄氏のブログ 自由報道協会授与式での発言について
まず記事に式でのスピーチ全文が載っていたのでそれを以下に。
はい、どうもありがとうございます。日隅一雄と申します。
この度はこのような名誉ある賞の冠をつけさせていただいたうえに、プレゼンターとして呼んでいただきありがとうございます。
これまでに登場されたプレゼンターの方々が有名な方々で、「なんなんだ、こいつは」、ということで、私は昨日、東電の前でチベットの高僧のようにですね、火を、自殺をして私の名前を上げたほうがいいのかなと、悲愴な決意でここに来ているわけなんですが、真面目な話、数年前から私はブログの方で第二次大戦のこととか、それから、いろいろ、われわれが忘れてはならないことをずっと書き続けてきました。
そのなかで今回大きな事故が起きて、この東電の事故も決して忘れてはならないという意味で、私の活動をみていただいて名前をつけていただいたのではないかと思って、非常に光栄に思っております。
さきほどから、自由報道協会がいつまで続くのかという話があるんですが、ぜひ、50年、100年と、孫子の代まで、続けていただきたいと思っております。
もし、途中で止まるようなことがあったら私は化けてでたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
……先にあげたトゥゲッターの引用は、決して間違いではない。
間違いではないが、やはり「スピーチ」というのは全文引用しないと真意や雰囲気はわからないと今回【大痛感】した。
ツイッターで日隅氏の発言に怒っておられる方は、日隅氏が「チベットの焼身自殺した高僧」を揶揄したと思われたと思う。
しかしこのスピーチで日隅氏のジョークの矢はチベットの僧ではなく、はっきりと【自分】に向けられている。それは自分を評する氏の
「なんなんだ、こいつは」
という発言にもっともよく出ている。
要するにここで日隅氏が披露したのは【自虐的ユーモア】で、「チベットの高僧〜」は文章における「形容詞」のような役目を果たしているだけとわかる(こういう言い方もチベットの方に失礼ですが、今はあえて)。
さっき引用した僕のツイートにもあるように、ベトナム戦争での僧侶の焼身自殺は明瞭に米軍に対する「プロテスト(抗議)」だった。
そして日隅氏はありありと、東電に抗議する自分の姿を焼身自殺してまで抗議の意思を表明したベトナムやチベットの僧侶に重ねている。
これは間違いない。
つまり「揶揄」や「嘲り」の正反対の態度なのだ。
しかし例えそうであっても「チベットの高僧云々」という発言は、やはり「際どい」といわざるを得ない。
僕は日隅氏のブログの文章を読みながら、今色んな未知の人々から総攻撃されているに違いないのに、日隅氏の文章に浮かんだ表情がとても落ち着いていることに感心した。そして、
「こういう冷静な大人が、どうして【チベットの高僧云々】という際どいジョークを口にしたのかな?」
と不思議に思った。
そうしてブログを読み進めていて、以下の記述に出会ったのである。
そんななか、私自身(日隅氏)の余命が癌によって半年と限られていることが分かりました。
……この一文を読み、僕は頭をぶん殴られるようなショックを受けた。
そしてたちどころに式のスピーチで「チベットの高僧云々」といった日隅氏の真意を理解した気になった。
つまり氏は「命を懸けて東電にプロテストする自分」の姿を、「中国政府に抗議して焼身自殺したチベットの高僧」の姿に、重ね合わせていたのだ。
だから繰り返すが日隅氏の発言は揶揄や嘲りなどでは断じてない。
日隅氏はチベットの高僧への【シンパシー(共感)】を、ここで表明していたのだ。
この後ウィキペディアの記事で日隅氏が胆嚢の末期がんで余命半年であることを確認し、僕はますます自分の「解釈」に確信を持った。
もうひとつ。
ツイッターで「自殺はよくない」といった発言があったが、「ブッダの自殺観」はイエスやムハンマドと【全然違う】ということだけはいっておきたい。
これについては以前ダライ・ラマ法王が来日し、自由報道協会で記者会見した際記事に書いたので、よければそちらをお読み下さい。
歳時記 ダライ・ラマに聞いてみたかった三つの質問
一言だけいうと、ブッダは自分の弟子ゴーディカが自殺したとき、悪魔に対して
「生命よりも大切なものがある」
とはっきりいっている。これは他の宗教の教祖には絶対見られない、仏教独自の哲学と思う。
そして日隅氏はこの仏教の「特異性」を、よく知っていると僕は思う。
最後にもう一度、不快な思いをさせた方に謝罪し、説明を終えたいと思います。中国政府に抑圧されたチベットの民、自国政府に抑圧された北朝鮮の民、世界中の抑圧された民が一刻も早くその抑圧から逃れることを心から願っています。
……日隅氏のブログの最後にあったこの謝罪の言葉も、通り一遍の美辞麗句ではなく、僕は氏の真意と誠意があると思った。
今回最大の悲劇は
「日本人への信頼を失った」
といわれたチベットの方がいることだ。
「誤解」を解くのは、言語活動の中でももっとも難しい範疇に入る。
誤解はほとんど、解けずに終る。これは悲しいセオリーだ。
しかし今回のこの「誤解」だけは、何とか解けてほしいと僕は願う。
日隅一雄氏のブログ 自由報道協会授与式での発言について
コメントの投稿
No title
はじめまして。
日隅氏の心情やチベット僧へのシンパシー等は理解できなくもないのですが、やはり「言ってはいけない事」と「言ってはいけない場」というものがあると思います。
今回の件は(日隅氏と親しい)身内だけにしか通じない事ではないかと。
それと貴兄はtwitterで知ったのかもしれませんが、元々今回の件は「スピーチ動画(ニコニコ生放送)」が問題視され、それがtwitterへと拡散していったのであって「全文引用しないと真意や雰囲気はわからない」というような引用の不十分さによる誤解の類が発端ではありません。
動画で伝わった「その雰囲気自体」が問題視されたのです。
厳密に言うと日隅氏だけではなく、日隅氏の発言を許容し、かつ「笑った」自由報道協会賞授賞式の場そのものが問題視されたのです。
*具体例のブログを挙げておきます。
日隅一雄氏の「(焼身)自殺をして名前を上げる」発言の文字起こしに画像キャプチャを加えるとリアリティ度が上がる
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-282.html
個人的には日隅氏は正直な人なのだとは思いますし、悪意が無かったのも分かりますが、日隅氏が与えたのは「誤解」ではなく「不快感(不信感)」です。
「誤解を解く」というのは筋が違うと私は思いますね。
正直、もう外野があれこれ言ってもチベットの方の役には立たないので、日隅氏と自由報道協会が今後 ダライ・ラマ法王日本代表部やチベットの方に対して、どういう対処をするかでしょうね。
日隅氏の心情やチベット僧へのシンパシー等は理解できなくもないのですが、やはり「言ってはいけない事」と「言ってはいけない場」というものがあると思います。
今回の件は(日隅氏と親しい)身内だけにしか通じない事ではないかと。
それと貴兄はtwitterで知ったのかもしれませんが、元々今回の件は「スピーチ動画(ニコニコ生放送)」が問題視され、それがtwitterへと拡散していったのであって「全文引用しないと真意や雰囲気はわからない」というような引用の不十分さによる誤解の類が発端ではありません。
動画で伝わった「その雰囲気自体」が問題視されたのです。
厳密に言うと日隅氏だけではなく、日隅氏の発言を許容し、かつ「笑った」自由報道協会賞授賞式の場そのものが問題視されたのです。
*具体例のブログを挙げておきます。
日隅一雄氏の「(焼身)自殺をして名前を上げる」発言の文字起こしに画像キャプチャを加えるとリアリティ度が上がる
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-282.html
個人的には日隅氏は正直な人なのだとは思いますし、悪意が無かったのも分かりますが、日隅氏が与えたのは「誤解」ではなく「不快感(不信感)」です。
「誤解を解く」というのは筋が違うと私は思いますね。
正直、もう外野があれこれ言ってもチベットの方の役には立たないので、日隅氏と自由報道協会が今後 ダライ・ラマ法王日本代表部やチベットの方に対して、どういう対処をするかでしょうね。
Re: Ursaemajpris さんへ。コメントありがとうございます。
ご紹介いただいたブログで初めて日隅氏のスピーチ画像を見ました。正直な感想をいうと
「これは批判されても仕方ないな」
と、思いました。
僕が今回、柄にもなくこのような記事を書いたのは
「日本人への信頼を失った」
というチベットの方の呟きを目にしたからでした。
「微力ながら……」という思いでしたが、やはりこれは難しいと感じました。
「これは批判されても仕方ないな」
と、思いました。
僕が今回、柄にもなくこのような記事を書いたのは
「日本人への信頼を失った」
というチベットの方の呟きを目にしたからでした。
「微力ながら……」という思いでしたが、やはりこれは難しいと感じました。
No title
こんにちは。当記事、大変興味深く拝読しました。
私としては、最初にニコニコ生放送であの発言の部分を見た時には、あまり深く考えず、
「東電=中国政府、日隅=チベットの高僧」になぞらえて、不正義に対峙していく決意を表したんだろうなぁ、だけど、チベット問題は政治的にデリケートだし、ちょっとブラックだなぁ・・・ハハハ^^; 程度の認識でした。批判されている会見会場の周囲の「笑い」も、そういった「苦笑」を含んだものだったと思います。
でも、その後の反響(多くの批判や、本人の弁明、当記事等)を見て、自分のその認識は甘かったなと思いました。チベット問題は軽い話では済まされないほどに悲惨なわけで、今も耐え難い抑圧を余儀なくされている人々に思いを致せば、そういう認識でいた自分に忸怩たる思いがします。
ですが、批判する人の中でも、あまりに一方的すぎる人が少なくない気がします。
日隅発言の中の「名前を上げたほうが〜」の部分は確かに、不信感、誤解の元になってて不適切ですが、受け取り方によっては、私が最初に思ったようにチベットの高僧との心の連帯を表明しているとも言えます。
つまり、言葉って多面的なもので、どのようにも解釈の余地があるものだと思うのです。もちろん、揶揄されたと受け取る人が出るのも当然で、そこは、日隅さんも謝罪しているわけだし、それでも尚、その多面性を理解せずに、批判を続ける人たちには、むしろ別の思惑を私は感じます。
それから、私は、委縮効果が心配です。差別表現に対する過剰反応からくる妙な「空気」ではありませんが、チベット問題に対する多様な意見、率直な感想などを口にすることがためらわれるという「空気」が形成されていく、というのも問題だと思います(もちろん、
人を傷つけたりしないよう、日々の学習は必要ですけど)。
さらに、そもそもチベット問題は「笑い」の対象にすらできないのだ、という「空気」も気になります。もちろんダメだという人もいるでしょうが、例えばチャップリンは映画「独裁者」で、ヒトラーによるユダヤ人へのホロコーストを「笑い」でもって、批判、断罪しました。
出来れば、そういうことの許容できる社会であってほしいなと思います。
長々と演説を始めてしまいまして(笑)、失礼しました。当記事を読んだら思いが込み上げてきたのです。お許しください。
私としては、最初にニコニコ生放送であの発言の部分を見た時には、あまり深く考えず、
「東電=中国政府、日隅=チベットの高僧」になぞらえて、不正義に対峙していく決意を表したんだろうなぁ、だけど、チベット問題は政治的にデリケートだし、ちょっとブラックだなぁ・・・ハハハ^^; 程度の認識でした。批判されている会見会場の周囲の「笑い」も、そういった「苦笑」を含んだものだったと思います。
でも、その後の反響(多くの批判や、本人の弁明、当記事等)を見て、自分のその認識は甘かったなと思いました。チベット問題は軽い話では済まされないほどに悲惨なわけで、今も耐え難い抑圧を余儀なくされている人々に思いを致せば、そういう認識でいた自分に忸怩たる思いがします。
ですが、批判する人の中でも、あまりに一方的すぎる人が少なくない気がします。
日隅発言の中の「名前を上げたほうが〜」の部分は確かに、不信感、誤解の元になってて不適切ですが、受け取り方によっては、私が最初に思ったようにチベットの高僧との心の連帯を表明しているとも言えます。
つまり、言葉って多面的なもので、どのようにも解釈の余地があるものだと思うのです。もちろん、揶揄されたと受け取る人が出るのも当然で、そこは、日隅さんも謝罪しているわけだし、それでも尚、その多面性を理解せずに、批判を続ける人たちには、むしろ別の思惑を私は感じます。
それから、私は、委縮効果が心配です。差別表現に対する過剰反応からくる妙な「空気」ではありませんが、チベット問題に対する多様な意見、率直な感想などを口にすることがためらわれるという「空気」が形成されていく、というのも問題だと思います(もちろん、
人を傷つけたりしないよう、日々の学習は必要ですけど)。
さらに、そもそもチベット問題は「笑い」の対象にすらできないのだ、という「空気」も気になります。もちろんダメだという人もいるでしょうが、例えばチャップリンは映画「独裁者」で、ヒトラーによるユダヤ人へのホロコーストを「笑い」でもって、批判、断罪しました。
出来れば、そういうことの許容できる社会であってほしいなと思います。
長々と演説を始めてしまいまして(笑)、失礼しました。当記事を読んだら思いが込み上げてきたのです。お許しください。
Re: 翠さんへ
コメントありがとうございます。
僕も最初ツイッターで今回の件を知ったとき、
「日隅という人もバカだな」
くらいの認識でした。ただその後日隅氏本人のブログを読み、またツイッターでチベットの方が
「日本人への信頼を失った」
と呟かれるのを見て「これは何かしなければ」と、何だかうろたえた気分で今回の記事を書きました。
言葉は本当に難しいです。同じ「言葉」を扱っていても「話し言葉」と「書き言葉」ではレスリングのフリースタイルとグレコローマンくらい、いやそれ以上に違うと感じます。
言語表現のプロであっても、特に「書き言葉」に没頭して生きてきた人は「話し言葉」は極端に下手で、往々にして誤解や騒動を招くことが多いと思います。
今回の日隅氏の件や、先日の芥川賞での田中氏の会見を見てそう思いました。
何だか長々と失礼しました(苦笑)。
重ねてコメントありがとうございました。お暇なときにでもまたお寄り下さい(笑)。
僕も最初ツイッターで今回の件を知ったとき、
「日隅という人もバカだな」
くらいの認識でした。ただその後日隅氏本人のブログを読み、またツイッターでチベットの方が
「日本人への信頼を失った」
と呟かれるのを見て「これは何かしなければ」と、何だかうろたえた気分で今回の記事を書きました。
言葉は本当に難しいです。同じ「言葉」を扱っていても「話し言葉」と「書き言葉」ではレスリングのフリースタイルとグレコローマンくらい、いやそれ以上に違うと感じます。
言語表現のプロであっても、特に「書き言葉」に没頭して生きてきた人は「話し言葉」は極端に下手で、往々にして誤解や騒動を招くことが多いと思います。
今回の日隅氏の件や、先日の芥川賞での田中氏の会見を見てそう思いました。
何だか長々と失礼しました(苦笑)。
重ねてコメントありがとうございました。お暇なときにでもまたお寄り下さい(笑)。
RE: 佐藤様、翠様
>「日本人への信頼を失った」というチベットの方の呟きを目にしたからでした。
>チベット問題は政治的にデリケートだし、ちょっとブラックだなぁ
御二方がチベット問題(チベット関係報道)にどの程度接してこられたのか、よく分かりませんし、こういう表現が適切なのか悩みますが、日隅氏の今回の発言というのは「政治的にデリケート」云々以前に「(特に今現在は)時期的に非常に問題がある」んです。
1.先ずチベットでの抗議(僧侶の焼身自殺を含む)はおさまるどころか増えています。
2.次に、そうした抗議への中共政府の対応は非常に弾圧的であり、最近も「デモ隊に治安部隊が発砲し死者がでた」との報道がありました。
3.そして、こうした抗議行動や中共政府の対応(弾圧)についての報道が、ここ数ヶ月 非常に多い、という事。
ネットでチベットや中国の新着情報を探していると、毎日のように、焼身自殺や中共政府の弾圧の報道を見つけてしまうんです。
日本人の私ですら、ウンザリする程です。
ましてや在日チベット人であれば、どれ程の焦燥を感じているでしょうか。
今、この時期に、それが例え自虐ネタの表現の一部といえども、チベットの現状を知っていれば、とても笑えるものではない事は十分に理解できるはずです。
しかも発言したその場は「自由報道協会賞の授賞式」で、公式の場であると同時に「報道に対する賞」を受賞する場であり、日隅氏は一般人ではなくジャーナリストとして、そして「自分の名を冠した賞」のプレゼンターとして発言したのです。
在日チベット人が憤るのも無理ないと思います。
>そもそもチベット問題は「笑い」の対象にすらできないのだ、という「空気」も気になります。もちろんダメだという人もいるでしょうが、例えばチャップリンは映画「独裁者」で、ヒトラーによるユダヤ人へのホロコーストを「笑い」でもって、批判、断罪しました。
チャップリンの「独裁者」はその笑いに皮肉としての必然性があったから評価されているんです。
日隅氏は御自身の心情を表現するのに「わかりやすい比喩」だと説明していますが、同時に「チベットの高僧という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立している」としています。
「チベットの高僧」という言葉を使用する必然性がなかったのを御自身で認めているじゃないですか。
その点をとってもチャップリンと比べるのは間違ってると私は思いますね。
>チベット問題は政治的にデリケートだし、ちょっとブラックだなぁ
御二方がチベット問題(チベット関係報道)にどの程度接してこられたのか、よく分かりませんし、こういう表現が適切なのか悩みますが、日隅氏の今回の発言というのは「政治的にデリケート」云々以前に「(特に今現在は)時期的に非常に問題がある」んです。
1.先ずチベットでの抗議(僧侶の焼身自殺を含む)はおさまるどころか増えています。
2.次に、そうした抗議への中共政府の対応は非常に弾圧的であり、最近も「デモ隊に治安部隊が発砲し死者がでた」との報道がありました。
3.そして、こうした抗議行動や中共政府の対応(弾圧)についての報道が、ここ数ヶ月 非常に多い、という事。
ネットでチベットや中国の新着情報を探していると、毎日のように、焼身自殺や中共政府の弾圧の報道を見つけてしまうんです。
日本人の私ですら、ウンザリする程です。
ましてや在日チベット人であれば、どれ程の焦燥を感じているでしょうか。
今、この時期に、それが例え自虐ネタの表現の一部といえども、チベットの現状を知っていれば、とても笑えるものではない事は十分に理解できるはずです。
しかも発言したその場は「自由報道協会賞の授賞式」で、公式の場であると同時に「報道に対する賞」を受賞する場であり、日隅氏は一般人ではなくジャーナリストとして、そして「自分の名を冠した賞」のプレゼンターとして発言したのです。
在日チベット人が憤るのも無理ないと思います。
>そもそもチベット問題は「笑い」の対象にすらできないのだ、という「空気」も気になります。もちろんダメだという人もいるでしょうが、例えばチャップリンは映画「独裁者」で、ヒトラーによるユダヤ人へのホロコーストを「笑い」でもって、批判、断罪しました。
チャップリンの「独裁者」はその笑いに皮肉としての必然性があったから評価されているんです。
日隅氏は御自身の心情を表現するのに「わかりやすい比喩」だと説明していますが、同時に「チベットの高僧という部分を削除しても、同じように自虐ネタとして成立している」としています。
「チベットの高僧」という言葉を使用する必然性がなかったのを御自身で認めているじゃないですか。
その点をとってもチャップリンと比べるのは間違ってると私は思いますね。
No title
ご参考に
今チベットで何が起こっているのか知ってほしい - 日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120130/226670/?P=1
今チベットで何が起こっているのか知ってほしい - 日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120130/226670/?P=1
Re: Ursaemajprisさんへ
> 今チベットで何が起こっているのか知ってほしい - 日経ビジネスオンライン
> http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120130/226670/?P=1
ありがとうございます。
僕は「チベットの現在の政情」については、まったく無知な人間です。
学生時代『死者の書』を読んで以来、彼の地に親しみを覚えている人間ですが、それ以上の知識は持ち合わせていません。
ご紹介していただいたサイトを拝見し、まず勉強してみます。
ありがとうございました。
> http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120130/226670/?P=1
ありがとうございます。
僕は「チベットの現在の政情」については、まったく無知な人間です。
学生時代『死者の書』を読んで以来、彼の地に親しみを覚えている人間ですが、それ以上の知識は持ち合わせていません。
ご紹介していただいたサイトを拝見し、まず勉強してみます。
ありがとうございました。
No title
こんばんは。
動画をみていた者です。
日本人として恥かしかったです。
ジャーナリストの方や、なにかギョーカイの方々は
いろいろ「自虐ネタ」で、出席者も共通の認識だったとすぐにいいます。
言葉はいろんな意味があるとすぐにいいます。
ですが、出てしまった言葉はギョーカイの人だろうが
一般人だろうが関係ないです。
書き言葉だろうが、話し言葉だろうが関係ないです。
日隅氏と一緒になって笑った出席者の程度が
広く知られた事だけが、救いでした。
ほんとうに恥かしかったです。
動画をみていた者です。
日本人として恥かしかったです。
ジャーナリストの方や、なにかギョーカイの方々は
いろいろ「自虐ネタ」で、出席者も共通の認識だったとすぐにいいます。
言葉はいろんな意味があるとすぐにいいます。
ですが、出てしまった言葉はギョーカイの人だろうが
一般人だろうが関係ないです。
書き言葉だろうが、話し言葉だろうが関係ないです。
日隅氏と一緒になって笑った出席者の程度が
広く知られた事だけが、救いでした。
ほんとうに恥かしかったです。
No title
日隅氏個人よりも、それをユーモアとして許容した自由報道協会(授賞式の場)が問題だと、私は思ったんですが、これはもうダメですね。
*一般の人が日隅氏の発言をどう捉えるかとは、また別の話です。
【自由報道協会】自由報道協会賞授与式での発言について
http://fpaj.jp/?p=2425
私は、こんなモラルの奴らに取材されたくないし、取材して欲しくないし、報道して欲しくないです。
*一般の人が日隅氏の発言をどう捉えるかとは、また別の話です。
【自由報道協会】自由報道協会賞授与式での発言について
http://fpaj.jp/?p=2425
私は、こんなモラルの奴らに取材されたくないし、取材して欲しくないし、報道して欲しくないです。



