第682回 無縁侍(39) 十字架(クルス)を持った少年

「はい張った張った張った!」
張り方の威勢のいい掛け声が、狭い室内に飛び交っていた。
そこは橋のたもとにある、博打専用の粗末な小屋だった。
「はい丁ないか丁!」
「丁」
「はい丁入った! 半ないか半!」
「半」
ス。小次郎はそういうと目の前の畳に張り札を置いた。小次郎の後ろでは兎さ吉が柔烏帽子を握り締め、祈りを捧げていた。
「頼むぜ小次郎さん、半半半……」
「はい半入りました半! では!」
コロロ、壺振りはサイコロを壺へ投じ、素早くそれを畳に伏せた。
「イザ勝負!」サ! 壺が明けられた。
「二六の丁!」
「よし!」
「あ〜!」
「……」
小次郎の前から、すべての張り札が持ち去られた。小次郎は黙って立ち上がった。小次郎の背後で兎さ吉がやはり無言のまま、腰を抜かしていた。
「どしよ?」さっきの祠の縁に腰かけ、草噛みながら小次郎はいった。「どーしよー?」
「わかんね」こちらも草を噛みながら、兎さ吉が呆然といった。「全然わかんね」
「和尚様にいわなきゃな」ドテッ、小次郎は祠に仰向けに寝そべり、溜め息ついた。
「怒られるぜ、厭だなあ」
「アッシが悪いんでさ」ペッ、草を吐き出し、兎さ吉はいった。「博打で儲けた奴はいねえのに。わかっちゃいるけどやめられねえ」
「俺も」
「小次郎さん、あんたも博打が?」
「好きだよ。でもぜんっぜん博才ないけど」
「アッシもでさ」
「俺見ての通りの半端者だからさあ」クルル、天井を見ながら噛んでいる草を器用に回して、小次郎はいった。「いつも半に張るんだけど、肝心なときには決って外しちまう」
「……あ〜参った」バリバリ! 頭をかきむしり、兎さ吉はいった。「こうなったらしゃんめえ。小次郎さん、和尚様に正直にいってこれから天草まで歩きやしょうや! 今から行けばまだ間に合う……」
「それがそーもいかねんだよ」
「何で?」
「ひゃー参った参った!」
さっき村に帰省してきた若者が、一年ぶりに再会した家族と抱き合って喜びあいながら、こんなことをいっていた
「人吉からこっちの道の警戒が厳重でさ」
ピク! 小次郎は立ち止まり、素知らぬ顔で聞き耳を立てた。
「おんや? そりゃまたどうして?」
「わかんね。でもお侍様が一々持ち物まで調べなさるから人の流れが滞って参ったよ。
あれは加藤清正公のご家来衆じゃね。蛇の目の紋が翻っとったよ」
「ほう、人吉から五木に向う人間だけを?」
「いんや、こっち、五木から人吉に向う人間のほうが、もっと厳重に調べられとったな」
「俺たちのこと探してるのさ」
ウンザリした口調で、小次郎はいった。
「清正って朝鮮に出兵して虎退治した暴れん坊だよなあ? そいつの家来なら荒っぽいに決ってるぜ、ゲッソリするよなあ」
「清正公! こりゃ大物が出てきやしね。それじゃ道を行くのは絶対無理だな。『往来自由』の川じゃねえと……」
そこで兎さ吉は、またションボリとうなだれてしまった。
「アッシが博打に手ェ出さなきゃ……」
「今さら愚痴ってもしゃんめえ」ムクリ、起き上がると小次郎はいった。「これからどうするかを考えないと」
「へい……あれ? 声名の旦那は?」
「あ」そこで小次郎は初めて兎さ吉に、阿部声名が命を落としたことの顛末を話した。
「そうでやしたか……」チチッと鋭く、忌み祓いのネズミ鳴きをしてから、兎さ吉はいった。「声名の旦那は『シャンバラに行きたかった』と?」
「うん」
「さいですか」バリバリ! また頭をかきむしって兎さ吉はいった。「これはどうあってもみんなでシャンバラに行かねえと! でもどうすりゃ……」
「うん」うん、といったきり、小次郎は口を噤み、兎さ吉も黙り込んだ。
「……」ゴソゴソ、すると兎さ吉が急に自分の懐を探り、「何か」取り出した。
「何だい? そりゃ」
「へい」それは先が二股に分かれた枝切れだった。そこによくしなる蔓が張られている。ビュン・ビュン、兎さ吉は蔓を何度も弓のように空放ちさせた。「こいつに石を仕込んで飛ばして鳥を取るんでさ」ビュン。
「へえ?」
「見てておくんなせえ」サ、兎さ吉は路上の石ころを拾い、それをうんと張った蔓に添えた。見ると兎さ吉の前方の草地に一羽、山鳥がいた。
「……」片目を瞑り、兎さ吉は慎重に狙いをつけてから……ビュン! 蔓が弓のようなしなりと唸りを上げた。高速で石が飛ぶ! ボトッ
「ピピピッ」
「いけねえ」溜め息突いて兎さ吉は肩を落とした。「鳥にも当たらねえ、参った」
「♪おどま盆ぎり盆ぎり……」
そのとき二人のいる祠の前を、眠っている赤ん坊を背負った子守娘が通り過ぎた。
「♪盆から先ゃおらんと……」
「ちくしょう」子守娘の後姿を見送ってから、兎さ吉がいった。
「いいケツしてるぜ、たまんねえや……疲れ魔羅だな、オイラどうも」
「兎さ吉さん」やはり子守娘の尻を見送りながら、小次郎はいった。「女のケツって、そんなにいいの?」
「そりゃいいに決ってまさ! わかりやせんか? 女のケツのよさが」
「俺まだ十四だぜ」ペッ、草を吐き出し、小次郎はいった。「そーいうのわかんないよ」
「じゃ疲れ魔羅もわかりませんか?」
「それはわかる。変なときに突然勃つ」
「ヘヘ! でもそういうとき小次郎さんはどうするんでやす? 女郎を買いに?」
「いや、自分で済ますよ」
小次郎と兎さ吉は、そんな独身の若い男らしい殺伐としたやり取りを、ダラダラと無為に続けた。
男は途方に暮れると、こんな風に益体もない話を、延々と続けるものなのだ。すると、
「あの」
「ん?」突然尻の下から、声が聞こえた。
ヒョイ、小次郎と兎さ吉は祠の縁の下を覗き込んだ。縁の下に筵を敷き、そこに小次郎と同い年くらい見える少年があぐらをかいていた。
それが光り輝くような、凄まじい美少年なのだ。自分を覗き込む二人に笑顔を浮かべ、美少年はいった。
「私は天草四郎と申します。天草の漁師です。よければご相談に乗りますが」
「なるほど。全部で八人ですか」
祠の前の路上に立ち、天草四郎は腕組みして何事か考え込んだ。
(それにしても……)
「祠の下で涼んでいた」と暢気に語る少年(聞くと小次郎と同じ十四歳だった)を見て、兎さ吉はほとんど呆れた。
(何てえ美少年だ? こりゃ一体)
四郎は薄茶の直垂にくくり袴(現代のズボンに似ている二本袴)という、ごく普通の庶民の服装をしていた。しかしその美貌は隠しようがなく、まさに燦然と輝いていた!
通り過ぎる子守娘がみな四郎を見るとたちまちボオ……と頬を染め、何度も振り返っては名残惜しそうに去って行くのだ。
兎さ吉のとなりで小次郎も、何だかポカンとした顔をしている。背は兎さ吉と変わらないからさして大きくない、現代の尺でいうと170センチくらいか。しかし、四郎の存在は一際目立つものだった。
それはもちろん彼の美貌によるところが大だったが、もう一つ理由があった。
彼の直垂の胸元で大振りなクルス(十字架)が、鈍い光を放っているのだ。
「四郎さん」小次郎は何事か考え込んでいる四郎に声をかけた。「あんた、キリシタン?」
「……え? はい、キリシタンです」
四郎は男の小次郎が照れるような、そんな美しい笑顔を浮かべて何てことなさそうに気軽に頷いた。
「へえ……」
へえ、と呟きながら、しかし小次郎は感心していた。
(女みたいな顔してるけど、いい度胸だ)
と。何故なら秀吉がすでにキリスト教の信仰を禁止していて、慶長四年当時厳しいキリスト教弾圧は、既に始まっていたからだ。
「わかりました」
不意に顔を上げると、四郎は頷いた。
「舟は二艘必要です。私が村人に交渉して借りましょう」
「おお! それは助かりやす」
「私の知り合いが村にいます。そいつが口を利いてくれれば舟はすぐ借りられるでしょう。四人づつ別れて乗ってください」
「へい! えと、舟頭さんはあんたが?」
「私と知り合いでやります」
「助かりやす!」サ! 素早く頭を下げると、兎さ吉はそれから恐る恐る、四郎に告げた。「あの……お礼の金はまったく、その……」
「いりませんよ」ニコッ、またしても美しい笑顔を浮かべて兎さ吉をまごつかせると、四郎はいった。
「私も天草へ帰るところなんです。ここの川の流れは早い。荷が軽いと舟が引っくり返りますからちょうどいいんです」
「四郎さん」小次郎はいった。「じゃああんた、ここへは行商に?」
「はい。塩を届けにきたんです。行きは甕に詰めた塩を担いで『塩の道』を歩いて辿り、帰りは舟で気楽な川下り」
「そうかい、ありがとう! 助かるよ。でも、清正公が道筋に睨みを効かせているらしいんだ。あんた、それでも……」
すると四郎はケロッと
「キヨマサのオッサンですか?」
といった。
肥後の英雄ともいうべき武将を平然と『オッサン』呼ばわりする美少年の豪胆さに、小次郎も兎さ吉もさすがに度肝を抜かれた。
「別にキヨマサがキリシタンを厳しく弾圧するから、こういうのではありませんが」
ポリポリ、と自分自身をたしなめるように頭をかき、四郎はいった。
「権力者だからといって威張りくさるのは間違いですよ。すべて地上の人間は平等であるべきです。旦那方もあんまりへりくだると人生損しますぜ。ヘヘヘ!」
チュッ、四郎は自分の胸のクルスに口づけすると、最後にこういった。
「アーメン」
【作者贅言】この小説の時代設定は慶長四年西暦一五九九年である。
有名な『天草島原の乱』は明正十四年西暦一六三七年、すなわちこの小説から三十八年後に起きた。
上代の『平将門の乱』とともに、大衆を巻き込んだ『革命』と呼べる反乱劇は、日本の歴史上たったこの二つだけと筆者(佐藤貝)は考える。
え? 明治維新?
あれは『特権階級の権力闘争』でしょう。
大衆(国民)の意思が、その後の国の運営に全然反映されてない。だからあれはとても革命とは呼べない。
この天草島原の乱を指揮した天草四郎は、当時十六歳の紅顔の美少年だった……という伝説がある。
四郎に関する資料は徳川幕府が徹底的に焼き尽くしたので、その風貌さえ今ではわからなくなっている。
ただ十六歳という痛々しいほど若いその年齢と、当時彼に会った西洋の宣教師が全員「美少年だった」と証言していること、残っている史実はほとんどこれだけだ。
天草四郎はまさに農民を奮い立たせる旗(シンボル)になったわけだが、幕府はそのオーラが他に波及するのを恐れて、彼に関する資料を完膚なきまでに焼き尽くしたのだ。
つまり天草四郎という人物については「謎だらけ」というのが本当なのだが、ではこの小説に登場する天草四郎とは、一体何者なのか?
後に大規模な革命運動を指揮することになる伝説の美少年四郎と、五木村に出現した漁師の少年四郎は、何か関係があるのか?
それはおいおいわかることになるでしょう。
〈続く〉



